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メランコる

未分類
07 /25 2013
心のなかにさ、二通りの衝動があるわけさ。


ひとつは、レジで自分の前に並んでる知らない人が会計の時「うわ、1円足りないわー」なんて言ってたら、「あ、1円ならあるよ」って言って、スッと横から差し出してみたくなるような、そういう種類の衝動。

これはわりと、胸張って堂々とやれちゃったりする。

だって、こういう衝動に素直に従って行動すれば、大抵はありがとうって言ってもらえるし、笑ってくれるし、そしたらやっぱり自分も嬉しくなるし、多分ちょっと口元にやにやしちゃうし、そういうのって嫌いじゃないから、そうしたいって思った時はわりと堂々とそうすること、出来ちゃう。

もう一つは、そういうのと違う、仄暗い衝動。

例えば、人や大切なものを壊したい衝動。

昔から、そういう衝動がずっと自分の中にはあるんだ。

だけど人が破壊されるような絵を描いてる時って、どっちかっていうと「壊してる側」より「壊されてる側」に自身を投影してる気がする。

だから破壊願望っていうよりは破滅願望に近いものなのかもっても思う。

でもどっちであれ、こういうのってあんまりおおっぴらには言いたくないし、言ってもやっぱり白い目で見られるだけだし、だから、取り分け親しい人間にはなるべくなら知られたくないって思う。


2つの衝動。


どっちが自分に有益なものを与えてくれるか、どっちが人生にリスクを呼び込むのか、それってもう火を見るより明らかで、だから以前はなるべく自分の中の綺麗な部分だけで生きたい、なるべく負の部分は殺して、隠して、無いものとして扱いたいなんて思ってた。


そうしたらきっと人に好かれる、ちゃんとした人間になれるって思ったんだ。


でもやっぱ現実ってそんな簡単じゃなくて。


負の衝動を本当に「全くのゼロ」に出来たならまた違うのかもだけど、自分の場合は、隠して、殺すほど、見えない部分でそれが膿んで腐って、正方向の意欲や心の余裕みたいなものまでも蝕んでく感じがして、なんか、きっとこれ、何かが間違ってるんだろうなって。

「悪い部分を正して、良い部分を伸ばしなさい」って多くの人は言う。

だけど、時に悪い部分といい部分が完全に「同じ成り立ちのもの」であることもあるんだ。

負の衝動も込みで自分で、そういう衝動とは切っても切れないのが自分で、そもそもなぜそんな負の衝動を抱くようになったのか、振り返ってみるとやっぱりコンプレックスとか、境遇とか、そういうものが根底にきっとあってさ。


小学校に上る前からずっと「妖怪、化け物、ゾンビ」って呼ばれてイジメられてた。

生まれつきの肌の病気があるんだ。

先天背魚鱗癬っていう、角化が人の7倍から10倍で進むのに、古くなった角質を新しい皮膚から分離するためのタンパク質が正しく生成されない病気。

だから、どんなに毎日何時間もかけてケアしてみても、冬とか乾燥の酷い時期はほんとゾンビの肌みたくなっちゃう。

自分でも「うわぁ確かにコレ、ゾンビみたいだなぁ」ってそう思ったから、虐めてくる子らが「間違ったことを言ってる」とも思わなかった。

彼らの言うとおり、この肌はやっぱり醜いし、病気に理解の無い子供からすれば、それはやっぱりゾンビとか妖怪に見えちゃうと思う。

同じ人間とは思えないのも無理はないって思う。

彼らに悪意はないもの。

そんな風に。

お利口さんっぽく、許して、受け売れて、出来る限り朗らかに、なるべく笑って、自分ではそういうふうに生きてきたつもりだった。

でもやっぱり、それは「捻じ曲げられた理屈」なんだ。


はじめての性衝動は、自分が「汚されて壊される妄想」だった。

多分中学2年くらいの頃だったと思う。

散々イジメられてきて、汚されることも、壊されることも、嫌で仕方ないことだったはずなのに、まさにそれが、自分の性衝動の原体験なんだ。


子犬を鉄板の上に縛り付けて、その鉄板に電流を流すと、子犬は当然痛がって逃げようとする。

だけどどうあがいても逃げられない事を理解すると、もう微動だにしなくなる。

鎖をほどいてやって、逃げようと思えば逃げられるようにしてあげても、もう動こうともしない。

ただ電流が流れる、痛みを与える板の上でずっと無気力に寝そべってるんだ。


人間も同じ。


どうやっても逃げられない継続的な痛みに晒され続けると、精神の致命的な崩壊を防ぐために、その苦痛を「快楽」と感じるようになるんだってさ。

脳がそう錯覚するようになっちゃうんだって。

致命的な崩壊を逃れるための、局所的な自壊をあえて起こす現象。

トカゲの尻尾切りにも似てる。

いのちを失わないために、致命的じゃない何かを切り落とすことで、その状況を生き延びる。


多分、自分の歪んだ性衝動の根底には、心理学的に言えばそういう要因が少なからずあるんだろうなって思う。


でも同時に、自分が毎日イジメられて辛い気持ちの時、誰も助けてはくれなくて、そういうやりようのない寂しさを知ってるからこそ、自分以外の人間が目の前でそういう目に遭ってたら、そういう苦悩を口にしたら「同じ気持を共有できるからこそ、してあげれること」があるんだ。


虐められるばかりの毎日はやっぱり辛くて、ぶたれるのも、蔑まれるのも、無視されるのも、やっぱり辛くて、慣れるなんてなかなか難しくて、だからずっと誰かに助けて欲しくて、ヒーローが欲しくて、だけどやっぱり現実はアニメや漫画みたいにヒーローが助けに来てくれたりはしなくて、辛くて悲しい時心の中で助けを呼ぶべきヒーローすら存在しない、そんな無常さがなにより悔しくて、毎晩シャワーの音で声を隠して泣いて、まくらに顔押し当てながら泣いて、だから。


ああ、これ、そっか、つまり、自分が「それ」になれば、ヒーローは存在するって事になる。


そんなふうに思って、だから、それ以来、学校で、自分のいるクラスで、目の前でイジメとかそういうアレがあったら、絶対止めに入った。

超怖かったし、喧嘩したって力じゃ絶対勝てっこないし、痛いのとか怖いのとか死ぬほど嫌いだったけど、でも、それでも「弱い子がイジメられてて、それを見てる人がいて、なのに誰も助けようとしない現実の冷たさ」を身を以って知ってるからこそ、「そういう現実の有り様が」許せなくて、怒りを向ける矛先が「そういう現実」だったからこそ、ビビりまくりながらの一歩が前に出たんだ。

自分の中に醜い衝動を植えつけた、この自分の境遇こそ、クラス中のみんなが「あいつら酷いことしてるな、でも悪いけど自分にはどうしてあげることも出来ないな」って見て見ぬふりをしてる時、あえての一歩を踏み出す、そういう勇気になったんだと思う。


きっと、そういう境遇がなかったら、元来ビビリで、他人にそもそも興味もない、事なかれ主義の自分は、目の前で誰がどんなふうに虐げられてても、それを見てどんなに可哀想だと心の中で思っても、苛めっ子とやられてる子の間に割って入って止める勇気は持てなかったと思う。


でも、その境遇がもたらしたのは、勇気だけじゃなかった。


仄暗い衝動。


表裏一体なんだ。


人間の心の中には悪魔と天使が「ひとりずつ」いるんじゃなくて、人間の心の中に住む天使はそのまま悪魔で、悪魔がつまり天使でした、みたいな。


表向き、上辺、取り繕うことはもちろん出来るよ。


自分の中の悪魔を見せないようにして、天使サイドの顔だけで生きることも、不可能じゃないのかもしれない。


だけどそれはまた別のリスクを孕む事を、きちんと理解してないとダメなんだ。


ある時、温厚な青年が、レイプ殺人をしました。


近隣の住人、かつての級友は口をそろえて言いました。


「あんなに朗らかでいい人が、あんな恐ろしい事件を起こすなんてとても信じられない」


きっと住人たちの証言に嘘はなくて。


心の中の悪魔を封殺して、律して、朗らかに、「良き人」として生きようとして、彼なりに頑張って、耐えて、凌いで、生きて。

そうやって生きて。


きっと色んな不運が重なって、獣を繋ぎ止めておく鎖が有無も言わさずに千切れて、飼い慣らし飼い殺したはずの獣に、自身もまた首を、人生を食いちぎられるかのように、そんなふうに、理性と、モラルと、それまで生きてきて積み上げてきた尊厳、人徳、評価、立場、思い出、全部、噛み砕いて。


温厚だった彼は、獣として、少女を犯して、壊して、殺してしまったんだと思う。


そんな悲劇が実際に起こりえる可能性を、自分はとてもリアルな事だと思う。


潜在的な、精神的な意味での、比喩としての狼男は、実際に少なからず存在すると思う。


自分ももちろん、「そっち」の側。


犯したい、壊したい、狂いたい、狂わせたい、殺したい、死にたい、全部。


全部、自分の中にもある感情だから。


殺しても、隠しても、握りつぶしても、それはやっぱり「要らない部分」なんかじゃなくて、体温を持った半身でしかないから。


共生の手段、その模索。


人を殺さずに、殺す願望を満たす手立て。


自分にとっては、それが絵だった。


人間が陵辱されたり壊されたり玩具みたいに扱われる、そういう場面を欲する衝動の捌け口。


「良き人」で居続けるための生贄を、22インチモニターの中に、電子的な働きをするペンと板を駆使して「生み出す」んだ。


生み出したそれを殺す時、それは同時に誰かを救う事にもなる。


自分が現実の世界で、もし万が一今夜暴発してたとしたら、その被害者となったであろう少女の心と身体といのち。


それをひとつ守れた事になる。


自分と同じような、仄暗い衝動を抱える人たちにあえて言いたい。


「それも含めて」あなたは人だから、怪物じゃない「人間」として。


どうか、間違いに手を汚さないで。


その獣を鎖に繋ぎ止めておく、その為に必要な餌をあげる。


だからどうか、常にリミッターを意識する毎日に疲弊して、檻の向こうにいる獣と不意に目が遭って、その獣の咆哮じみた「呼びかけ」に応えそうになってしまう時、自分の本質がもう「良き人」ではないのだと感じても、それでもどうか、自身という人間を恥じないで。


人は誰も歪んでるよ。


その歪みは、つまり力だ。


あなたのその歪んだ衝動にもきっと起源がある。


あなた自身も思い出せない脈歴の奥底で「機会」に遭遇したはずなんだ。


あなたは、かつて壊れたその時、「仄暗い衝動を抱く、今のあなた」になった時、もうひとつの力を手にしたはずなんだ。


だからどうか。


人である事をやめないで。


あきらめないで。


その為にこそ、これら紙の上、データの海の中で、架空の少女達は何度も犯され壊され死んでは別の少女が別の誰かによって創造されて、そんな風にあるこの虐殺の餌場を。


どうか「針を振りきって手を汚すための動機」にはしないで。


どうか「手を汚さずに生きていくための糧」に。


餌を得るのは、獣であり、同時にあなたなんだ。


だからこそ、主導権を絶対に譲らないで。委ねないで。


あなたの衝動は「あなたによって」支配され続けるべきなんだ。


それだけ約束してくれるなら、あなたが暴発しないための「お薬」の用意を、拙いながら善処努めさせていただくつもりでいるよ。


良い夜を。

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メランコル

基本エッチな絵を描いてます`~`

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