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めぐる

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10 /31 2014
中学生の頃、クラスの全員から酷い苛めに遭っていた青年は、世の中の大半の人間を憎むようになった。


だって、社会に出て出会う誰も彼もが、3年間自分を執拗に苛め抜いたクラスメイトの誰かしらに、どこかしら似てるから。


自分を虐めた当人とは多少違う部分があったとしても、きっと今目の前にいるこいつだって、同じような悪意を腹の底にたんまり蓄えてるんだ。


自分を執拗に虐めた連中も、「友達同士」の世界では青春マンガみたいに和気あいあいと楽しく健やかに生活してた。


連中なりの正義や情熱や愛情や夢があって、部活や勉強や行事に一丸となって真剣に取り組んで、そう、まさに清純たる青春を送る中学生。


けど。


僕が教室に一歩足を踏み入れれば、連中は途端に悪魔の形相で僕だけを苛め抜いた。


一人の人間の人格が破綻するほど苛め抜いた、その手を連中は互いに取り合って夢を語り合い情熱をかざして青春を謳歌しながら健やかに成長し、社会に出た。


そういう連中が今、社会人として、僕の目の前にいる。


社会人として、上辺の笑顔を貼り付けて、上辺の大人ぶった対応で。


心の中ではどうせ、あの頃のように僕を心底蔑んで嘲ってるんだろう。


それが、お前ら「善良な一市民」という連中だ。


顔や名前が違うだけで、お前らはみんな結局、そういう生き物なんだ。


そんな猜疑心が、恐怖心が、攻撃的な態度を誘発する。


人間がとても怖くて、黙って静かに恐怖に耐え続ける事はもう出来ない、だから吠える。


相手から暴力を受ける前に、自分から噛み付いて退ける。


そうしなければ実際生きてこれなかったのだから、青年が「仄暗い目つきで、誰に対しても攻撃的かつ否定的な態度をとる、偏屈な疎まれ者」になったのは至極当然の成り行きだろう。


ネット上のあらゆる場で、人を見下したような、小馬鹿にしたような、攻撃的な書き込みをする。


中学時代にクラスの全員から存在を否定されて、否定される辛さに耐え切れなくなって、だから自分も相手を否定し返す。


そうしたら余計に状況は悪くなって、家族や身内までも敵に回って、自分の味方についてくれる人間は誰もいなくなって、現実のスペックも立場も一切関係ない、顔の見えないインターネット上にだけしか居場所がなくなって。


攻撃されるか、攻撃するか、それ以外の外交手段をそれまでの人生で誰からも提示されてこなかった彼は、当然ネットでも否定的で攻撃的な事ばかりを垂れ流す。


誰がするどんな発言にも文句をつけて、嘲笑って、否定して、煽って、傷つける。


そうやって「自分が危害を加える側」にしがみついていなければ、それはつまり「自分が危害を加えられる側」になってしまうという恐怖から、彼は執拗にそれをし続ける。


彼は今日も、ネット上のあらゆる場所で悪意を撒き散らして、あらゆる人を不愉快にさせ続ける。


彼と接するほとんどすべての人間は、彼の悪辣な行為に直情的に腹を立てるばかりで、「真っ当に育まれた、真っ当な善悪観念」によってのみ彼を断罪して、だから彼に救いが訪れることはない。


彼が悪意の塊みたいな人間になってしまったその過程や境遇を汲んで、彼に立ち直るきっかけを与えようとする人間なんてほぼ皆無だ。


彼はきっと、余程の奇跡に恵まれない限り、悪意のめぐりに奔走して人生を終えるんだろう。




ここまでを読んで「彼」を心の底から蔑んで憎む人間はどのくらいいるだろう?




別の青年の話をしよう。



彼の兄は心の病気だった。


ちょっとした鬱だとか、ちょっとした発達障害、そんな程度のものじゃない。


深夜でも発狂しながら壁を全力で殴ったり、蹴ったりは日常茶飯事、性器を露わにして道端で女の子に襲いかかった事もあったけど、当時はまだ未成年だったしすでに精神疾患を診断されていたから、ほとんど刑が科せられることはなかった。


当時まだ少年だった青年は、自分に手加減の一切ない暴力を振るう兄を、親にだって平気で暴力を振るう兄を、近所で毎日問題を起こす兄を、心の底から憎んだし蔑んだ。


自分は絶対に兄のようなクズにはなるまいと誓った。


でも同時に、自分にも兄と同じ血が流れていて、自分も兄と同じDNAによって構成されている事を本能的に悟ってもいた。


だから少年は常に自身を固く戒めた。


最も身近に「理想の反対」があったから、彼にとって理想を追い自らを律することは、ほとんど努力というよりも必然だった。


兄のせいで散々近所から冷たい目を向けられ、異常なほど「外目」を気にするようになった少年は誰よりも品行方正で、顔立ちはさほどハンサムでもなかったけど、常に清潔感漂う姿で、「人にいい印象を与える服装」を好んで、またそういう態度、振る舞い、全てを身につけた。


中学へあがる頃には、当然のように人気者になった。


老若男女問わず、誰もが彼という人間を表面的に、短絡的に好いた。


その中で最も親しくなった女の子は、彼の頑ななまでの「善良さ」への執着の裏側を汲んだ。


この人はなぜこんなにも、誰にでも優しく、誰も見てない場面ですら高潔さを忘れず、常に善良なのか。


彼には病的に暴力的な兄がいて、そんな兄と同じ屋根の下で生活をして育った彼の品行方正さとは、境遇によって築かれた善良の牢獄とも呼べる、儚さを伴う悲しい優しさなのだと、彼女は理解した。


だから彼女はそんな、己に内在する悪意に心から恐怖し、だからそれをあらゆる意味で封殺し、常に善良に尽くさずにはいられない彼に、心から同情し、より一層深く彼を愛した。


ずっと善良の皮を被って生きてきた、
でもその裏には兄と同じ怪物の血が流れている事を自覚していた、
自らの本性を心の底から恐れ憎んでいた彼も、
一人の女性に心から愛されて、敬われて、心を交わすうちに、
境遇によって強いられ続けてきた善良の仮面、それを頑なに維持し続けてきた努力が報われたのだと感じた。


彼は彼女との間に子供をもうけて、子を、愛する女性を守るために、力の限りを尽くした。


無論その後の彼の人生にも試練は沢山あった。


普通の大半の人なら挫折するだろうどんな場面でも、彼の境遇によって育まれた鉄壁の意志のちからと、彼を愛する彼女の支えが、それを打破するに導いた。


誰もが立ち往生する困難を苦ともせず突き進み、成功を手にする彼を、誰もが尊敬し、愛した。


多くの人から愛されながら、彼はその人生を全うした。




そんな「人生の成功者」を心の底から妬み、羨み、また同時に憎悪し、拒絶するのは、はじめに話した男。


誰からも疎まれて、疎まれるから疎み返して、誰とも心を通わせる事無く、通わせる機会もなく、一生を全うした男。



この2つの人生の対比に、あなたは何を見出すだろう。


あるいはもう一つ追加してもいい。


哀れな憎まれ男の人生と、善良に尽くして生きた男の人生と、もう一つは「あなた」の人生だ。



人生の質はそれぞれに大きなばらつきがある。


全てはなんだかもう、個人のちからなんかではどうしようもない巡りによって、無機質に組み上げられた構造物みたいだ。



けど。



たとえばもしも。



自分の周囲にいる全ての人から拒絶され続け、怨念を蓄えて、反射するみたいに人間を憎むようになった男。


そんな彼の境遇的不遇を汲んで、噛み付かれようとも彼に手を差し出して、けれどそんな自分の所業を「善行」だなどと履き違えず、「自分の傲慢さと欲望によって、またそれを正しく自覚して」孤独の彼を救おうとする、そんな人間がもしもいたら。


彼は当然、最初は拒絶するだろう。


何度も噛み付いて、攻撃して、否定して、逃げ出すだろう。


きっと彼を更生させようとして彼に捧げるその大半は無為に帰す。


彼を救うために何をどう頑張ったって、ほとんど無駄。


そう、ほとんど。


彼に与えたものの大半を彼は暴力的に跳ね返すだろう。


けれども。


跳ね返される時、あなたの心も傷つくだろうけど、跳ね返した彼の爪にも、牙にも、あなたが彼に傾けた心の痕跡が刻まれる。


これが重要な部分なんだ。


この、ほとんど目視できない微細な痕跡の累積が、人間の気質を少しずつ変えていく。


無駄に見えても、本当に無駄なことなんて実際にはほとんどない。


1レベルあげるのに300万の経験値が必要でも、1ずつしか経験値を重ねれなくても、300万回彼に心を傾けて、彼がそれを全て跳ね返した頃には、レベルが1こあがる。



ほとんど定められているようにすら思えた運命の挙動が、その時確実に、変化する。



あるいは後者の彼。


境遇を糧に幸福を得て、それを守るために実力以上の力を発揮し続けて、高潔な人生を全うした彼。


もし彼のその苦悩と積み重ねてきた努力を受け止める女性が一生現れなかったら。


彼は「本当の自分」と「境遇によって縫い付けられた善良の仮面」の乖離にいずれ耐えられなくなって、どこかで壊れて、破滅していたかもしれない。


兄のようになるまいと、誰も傷つけずに生きようと、己の本能的暴力性を断固否定して、封殺して、たとえ自らが練りだした偽りの善意でも、それによって己の全身を覆い尽くすことで、本当の善人であるかのように演じて生きる。


途方も無い努力を要する上に、一瞬足りとも気を緩めることは許されない。


一度でも自分に妥協を許せば、そこから堕落が始まり、瞬く間に凶悪な兄のようになってしまう、そういう確信が彼を病的な潔癖に縛り付けて、そんな牢獄の中で、愛する者の支えすら得られなかったら。



ああ、もう


頑張ったって無駄じゃん。



こんなに、こんなに、こんなに死ぬ気でいい人を演じて、頑張って、耐えて、本当の欲望を押し殺して、ずっと頑張ってきたのに。


辛いばかりで、苦しいばかりで、上辺だけの糞みたいな称賛をもらって、偶像崇拝の対象になって、ああ、どいつもこいつも糞ばっかりだ。


皆、自分にとって都合のいい面ばかり見て、それしか見ようとしない、そんな軽薄な目の監視に囚われて、ああ、俺は一体今まで何をしてたんだろう。


なんのためにずっと苦しみながら自らを戒めて生きてきたんだろう。


馬鹿で愚鈍で浅はかな糞。


どうしてそんな糞みたいな愚民共の目をこんなにも気にして、俺は今まで我慢なんかしてきたんだろう。


ああ、ああ、もういい、もういいよ。壊しちゃおう。





はい、「品行方正な善良青年ごっこ」終わり。





「ええ、いつも道ですれ違えば笑顔で挨拶するし、困ってるお年寄りなんかには率先して手を差し伸べるし、近所でも評判の好青年でしたよ。あんなにいい人が、まさかあんな蛮行に及ぶなんて・・・やっぱり血は争えないんですかね。たしか彼のお兄ちゃんも随分前に精神病院に強制入院させられて・・・」



小さな1の累積がジェンガみたいに組み上がって、人生は恙無く過ぎていく。



「この道を進めばとりあえずはゴールに辿り着けそうだ」


ある辺りでなんとなくそんな直感が訪れて、安堵に気を緩めた途端に、積み上げたそれは無情なくらいあっさり崩れ落ちる。


多くの場合、維持も破滅も再生も、自分の手だけでは足りないらしい。


人間は、他者の人生を破壊する事もできるし、他者の人生を支えることも出来る。



怒り、愛情、憎しみ、信頼、欺瞞、高潔、


賽を振ればいずれかの目が出る。


そして賽は望まなくたって随時自動的に投げ込まれる。


このゲームの肝は、自分の投げた賽が誰かの目になって、誰かの投げ込んだ賽が自分の目になるという事だ。


しかし、めぐってきたもののうち、どれをどのようにめぐらせるのかは、その人その人の意志に委ねられている。


たとえ因果の連なりに翻弄されるばかりの人生でも、「自分はどうやら因果の連なりに翻弄されてきたらしい」ということを自覚したならその瞬間、それまでとは別な選択肢が出現したりする。


時にそういった類の選択肢というのは、自分自身を救うものじゃなかったりするけど、自分がそこにザイルを打ち込むことで、後続者が壁を登りやすくなったり、はたまたそのザイルが穿った亀裂のせいで壁自体が崩落して多数の犠牲者が出たりする。


どう転ぶかは結果が出てみなければ分からないけど、願いの気配みたいなものだけはそこに残る。


復讐の為に賽を振り続ける人。

自分が幸せになるためだけに賽を振り続ける人。

誰かの事を思いながら賽を振る人。

自分は正しいと信じて賽を振る人。

もしかしたら間違ってるかもしれないとちょっとだけ思いながら振る人。

自分は間違ったことをしていると確信しながら賽を振る人。



兎にも角にも、巡ってめぐる。

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10 /02 2014

表紙



親に売られたJCアイドルを薬漬けにして飼育調教しちゃうCG集が販売開始されたよー。

どうぞよろしく!

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