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所在

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06 /27 2014
目の前で信号が赤に変わる。

けどここは小さな十字路だから車はほとんど通らない。

分かりきってるから、赤だけど、一応左右を確認していつものように足を踏み出そうとする。

右足を2センチくらい浮かせた瞬間、隣の親子連れが声をあげる。

「待って!赤だからだーめ!ほら、とまって!赤だからだめよ!」

無論、俺に言ってるんじゃない。
ようやく立って歩く事を覚えたくらいの幼い我が子に対して言ってるんだ。

それを見て、浮かせた足をそのまま同じ位置に下ろす。

普段だったら普通に渡る。
赤とか関係ない。
だってここは、車がこない通りだから。

でも真横の親子のやり取りを見て、足を止める。

子供って馬鹿だから、赤なのに歩いてる人を見たら「歩いても大丈夫なんだ」って簡単に思っちゃう。

善人ぶるつもりもないけど、なんとなく、足を止めて青になるのを待つ。

すると後ろからぶつぶつ何かを呟いてるおばさんが急ぎ足で来て、俺の横を通り過ぎて、赤信号を無視して横断歩道をスタスタと。

ほら、子供って馬鹿だから。

信号無視のおばさんに釣られるようにして、隣の親子の子供が言葉にもならない声をあげながらよたよたと車道に足を踏み出した瞬間、普段滅多に通らない車が向こうから来て。


悲劇はいつだって、目をギラつかせながら俺達を待ち構えてる。

よく晴れた日の夕暮れ時。


おばさんは近所の小道を、買い物がてら娘と並んで歩く。

学校であった出来事を娘はたどたどしい口調で箇条書きのように語り、おばさんは、へえー!そうなのー!と、いかにも感心するようにオーバーリアクション気味な声で相槌を打つ。

娘に持たせた手提げの熊のような犬のような不思議な生き物の刺繍はもちろんおばさんのお手製で。


車が来て、撥ねた。


娘を。


バンというすごい音がして、娘の頭からは脳髄が飛び出して、数度痙攣して、動かなくなった。


以来、おばさんは、いつも何かをつぶやきながら街を徘徊してる「可哀想な人」として近所で有名になった。


すれ違いざまに俺が聞いた「ぶつぶつ」は、多分、ころしてやる、だったと思う。

娘が轢き殺されてから今日まで、磨耗して削れて変形するほどに口の中で繰り返された、ころしてやる、だ。


おばさんの娘を轢いた車は見つかってない。


犯人の男は母子家庭で育った。

母は息子の目から見ても尊敬に足る朗らかな人物だった。

平日も土日も、休みなく仕事をしていた。
けど、片親である事を我が子が引け目に感じぬよう、仕事以外の時間はいつも息子と一緒にいた。

そんな母に心配や負担をかけまいと公立の高校に進み、公立の大学に入って、割と名の知れた企業に就職した。

中学から高校まで所属していたバスケ部では、神童級と呼ばれる腕前を披露したものだった。

けどバスケの道に進む事など微塵も考えなかった。

少しでも安定した暮らしを手にし、母に安心と楽を与えてやる事だけが少年の夢だった。

心の奥底は違ったかもしれない。

けれどそれは誰にも分からない。

夜、仕事から帰った母を労い食器を洗う幼い手、洗剤の染みるその血豆の跡だけが、少年の、少年だった頃の願いを知っているのだろう。

少年は大人になり夢を叶えた。

脇目も振らず「真っ当な人生」を志し、それを成した。

人間性、社会的地位と信用、一人前と呼ぶに十分な人間に育った。

そんな矢先に母が蜘蛛膜下出血で倒れた。

その知らせを受けて大急ぎで病院へ向かう途中だった。

何かにぶつかる感触がして、子供くらいの大きさの何かが数メートル飛んだのを窓ガラス越しに眺めるその瞬間はまるで永遠のようにスローモーで、なのに無慈悲なほど事務的かつ円滑に過ぎていった。

飛んで、転がりながら、落ちる。

子供くらいの大きさの何か。

確認する勇気はなかった。

倒れた母の事で頭がいっぱいだった。

もういっそ何もかも「なかった事」にしたかった。

青年はアクセルを踏み込んだ。

不思議と罪悪感はあまりなかった。

まるで局所的な健忘症でも患ったみたいに「今さっきの事」など気にも留めず。

病院についた。

緊急手術は成功し、母はどうにか一命を取り留めたと医師が額に汗を湛えて告げる。

全身の力が抜けるほどの安堵と、同時に、忘却しようとしていた「今さっきの出来事」が蘇る。

「子供くらいの大きさの何か」を撥ねる感触。

未熟な柔らかい肉を押し潰して、潰れた肉の奥の骨が理不尽な力によって砕けてひしゃげる、それがボンネットを伝いハンドルを震わせる、あの感覚。

自首しようか、自首するべきだ、今からでも、そう思った。

もし、母が、助かっていなかったら。

自首しただろう。

けれど、一命を取り留めた。

きっと後遺症が残るであろう母には、もう自分しかいないのだ。

男はとうとう自首する事が出来なかった。



「誰かぁああ!!誰かぁあああ!!!!きゅ、、、きゅきゅ、、、きゅ、、、きゅうきゅうしゃあああ!!!」

泣き叫ぶ、おばさん。

コンクリートの地面の上に、赤黒く伝う新鮮で濃い血と、そこに混じる肉片や脳髄。

即死だったろう。

救急車は3分もかからずに到着した。

しかしこの状態では対応の速度など。

娘を目の前で轢き殺されたおばさんは発狂し、自我の手綱を放棄した。

以来、ぶつぶつ何かを呟きながら街を徘徊する「可哀想な人」になった。



「可哀想なおばさん」が俺の横を通り過ぎる時、聞こえた”ころしてやる”



次の瞬間隣の子供が、拙い足取りでよたよたと車道に躍り出て。

それはまるで、見えない何かに手を引かれ、導かれるみたいに。

俺が咄嗟に助けてやれたなら、きっとこの街のヒーローになれただろう。

現実には「あっ」って情けない声を短く発しただけ。

その声を掻き消すような暴力的な打撃音が次の瞬間響いて、幼い体が宙を舞う。


まるでこの世の全てが予定調和であるかのような、詩的なニュアンスを含んだ死の光景。


目の前で我が子を撥ねられて、一体どれだけの人が冷静に「走り去る犯人の車」を観察出来るだろう。

役者の派手な演技を上回るくらいにぶるぶる震える手で携帯電話を取り出し「む、むすこが!!!息子がああ!!助けてえええ!!!」と泣き叫ぶ母親。


残念だけど、多分助からない。

だって首、体とほとんど切り離されて変な方向向いちゃってる。

無理だよ、可哀想だけど。


「子を撥ねられた母親」が警察に語った車種と色は、俺が記憶しているそれとまったく別だった。

目撃者は死んだ子の母親と、俺だけ。

どこか非現実的な冷静さで状況を眺めてた俺は、走り去るナンバープレートをはっきりと記憶してる。

警察に伝えるべきだと思ったけど、でもなにか、説明しづらい何かが心にひっかかって、それを阻んだ。

俺は警察に車種とナンバープレートを伝えず、近所に看板を掲げている探偵事務所に、事情は伝えず「この車と持ち主を探してほしい」と依頼した。

依頼には30万かかった。

それが無難な額なのかどうか、俺にはわからない。

そもそも探偵社なんて利用した事なかったし、利用する日が来るなんて夢にも思わなかったから、相場なんて知るはずもない。

大体2週間ほどで見つけられるけど、一応一週間後に状況報告の電話を入れる、そして2週間後には多分この車と持ち主を特定して、情報提供できるだろうとの事だった。

ほとんど最初の話どおり、依頼から丁度一週間後に「○○市の○○さんのものである可能性が高いというところまでは掴んだ、証拠が固まり次第また連絡する」という内容の電話があって、その4日後に「○○市の○○さんのもので間違いない」という電話があった。

俺は○○さんの元を訪れた。

2階建ての、紀元前から建ってたんじゃないかってくらいにボロい安アパートの、奥から二番目のドアのピンポンを押して、10秒くらい待つと、中から爽やかイケメン風の男が出てきた。

爽やかイケメン風ではあるけど、実際は結構年いってて、案外俺と同じくらいなのかもしれない。
そんな感じもする。

「すみません、母がデイケアから帰ってくる頃なので、少し待っていただいてよろしいですか」

俺がどんな用件で訪れた人間なのか、察しているようだった。
ドア越しの立ち話で済ますには少し長い話になるだろう事も。

俺は頷いて、招かれるまま、狭いアパートの一室にお邪魔する。

通された部屋のソファーに腰を下ろして、茶箪笥の上に載せられた置き時計をぼんやり眺めていると、体が不自由らしい彼の母親が施設のヘルパーさんに連れられて帰宅し、しばらく別室で話す声がちょいちょい戸越しに聞こえて、数分後、彼が戸をあけて部屋に入ってくる。


「あの、俺が今日どういう用件でここにきたかは」

「あ、はい」

俺が言い終わるより先に、彼が申し訳なさそうに返事をする。

俺も、そもそも何かちゃんとした考えがあって今日ここに来たわけじゃない。

なんか、うまく言葉に出来ない何かに突き動かされて気づいたらここにいた、的な感じで、だから、あらたまってこう、いざ向かい合うと、なんだか言葉がうまく出てこない。

「別に、自首を促しにきたとか、そういうんじゃないんです」

「・・・はい」

「あなたが今どんな心境なのか、俺にはちょっと察しかねます。いや、想像はできるけど、想像と実際の当事者の心境には隔たりがあるだろう事も分かってるっていうか、あの、うまくいえないけど、、、」

「・・・はい」

「さっきのがお母さんですか?」

「はい、母は先月くも膜下出血で倒れて・・・あの日です、あの日に母が倒れて・・・」

「病院に向かう途中だった」

「・・・はい」

「すごく率直な意見をいうと」

「・・・はい」

「傍目にみて、不可抗力だったように思う。車道側の信号は青だったし、あのタイミングで飛びだされて急停止とか回避をするのは物理的に不可能だったろうと思う」

青年は黙って俯いている。

「あの・・・・た・・・助かったんですか・・・?」

きっと、聞かずにはいられなかったんだろう。”込み上げる”という表現がふさわしい声色で、俺に尋ねる青年。

どういう言い回しを選ぶべきか逡巡するけど、正解なんて見当もつかないから率直に告げる。

「即死だったよ。誰の目にも明らかだったし、後日警察の人に確認したけどやっぱり即死だった」

凍てつくほどの緊張感が青年の全身を蝕むのが傍目にも分かった。

「死んだん・・・ですね・・・、そうですか」

轢き逃げ犯から、殺人犯に昇格した気分はどんなだろう。
とても想像つかない。

当事者の前で闇雲な想像をする事は、なんだか不謹慎な事のように思えて、だからなるべく、”その方面”への感情や思考を意図的に停止させる。

「子供・・・ですよね・・・・」

「うん。2歳くらいの男の子だった」

なおさら愕然とうなだれる青年。
「痛める心」を持った人間なのだ。
殺人者になりたくてなったわけじゃない、本当に、不慮の事故で、偶然殺人者になってしまった青年。

「あなたにとって、母とは?」

さっきの、向こうの部屋でやり取りする、母を慮る優しい声を聞けば、こんな質問しなくたって自ずと分かる事だ。

けど、ちゃんと聞いておきたかった。

「母は、、、ずっと一人で僕を育ててくれました・・・。片親である事をひとつも重荷と感じていないかのように、いつも明るく、朗らかで、誰よりも優しい母でした。同年代の子供たちより神経の細かった僕をいつも一番に考えてくれていました。だからこそ僕はグレる事もなく、真っ直ぐに育つ事ができました。いや、、、こんな事件を起こしてしまって、、、真っ当だなんてとても言えませんが、少なくとも「あの瞬間」までの僕は、母に誇れる息子であったと思います・・・」

「ご兄弟は?」

「いえ、、、いません。母と僕だけです・・・。たった一人の・・・家族なんです」

青年の瞳に、涙がじわりと浮かぶ。

悔しさのような、怒りのような、悲しみのような、愛のような、願いのような、あらゆる感情の奔流を湛えた涙。

「親友や恋人は?」

「・・・ずっと、学業に追われる学生時代、社会に出ても仕事に追われる毎日でしたから・・・親しい人間を作る暇はありませんでしたが、、、それを苦痛と感じたことは1度もありませんでした。母と二人三脚のこの暮らしに心から満足を感じていました」

「母親が自分の為に犠牲にしてきたものを思えば、人並みの欲求を抱くことすらおこがましく思えた」

「はい・・・そうかもしれません」

「お母さん、大事なんだね」

「かけがえのない存在です」

「それが自首を躊躇う理由」

「僕のしてしまった事で、母の苦しむ姿を見るのが怖いんです・・・。分かっているんです。僕が取り返しのつかない事をしてしまったという現実、ご遺族への償いの為にも自首するべきであること、全部、分かっているんです・・・それでも、今、倒れたばかりの母を一人にすることは僕には・・・」

俺は深く溜息をつく。
どうする事が最善なのか、全くいい考えが浮かばない。
目の前に提示された選択肢の全てが歪な間違いに見える。
正解は多分存在しない。

「罪って、誰のものだと思う?」

「罪・・・悪いのは、、、全て僕です、、、僕がっ・・・」

「あ、いや、そういう事じゃなくて、なんていうんだろう。そもそも、あの子が飛び出したのは、うちの近所のキグルイオバサンのせいなんだ。キグルイオバサンっていうのは、いつもぶつぶつ何かをつぶやきながら街を徘徊してるおばさんなんだけど、そのおばさんも娘を事故で失って、それからおかしくなっちゃったんだ」

「でも・・・轢いたのは僕です・・・」

「あの子を車道に誘い出して轢かせたのはキグルイオバサンだし、俺も、本当にその気になればあの子を助けられたはずなんだ。そういう位置に居た。でもビビッちゃって動けなかった。だからあの子が死んだ。あるいはあの子の母親だって、一瞬たりとも我が子から目を離すべきじゃなかったし、手でも繋いどけばよかったんだ。あの場にいた皆が罪の所在と言える。その中であなたはたまたまババを引いただけだよ」

「だけど・・・失われた命は戻らない・・・僕は子供を殺したんです・・・」

「うん。俺たち皆が死なせた命だ。でも罰は基本的にひとりのものだ。常々理不尽だと感じてたよ。どうして「潜在的に罪に加担した存在達」はいつも無罪放免で、直接的に犯行に関わった者だけが逮捕されて罪を負わされるのか。罪は皆にある。けど罰を負うのはいつも一人だ。こんなのって不公平だよ」

「・・・理屈はそうかもしれないけど、、、あなたは偶然轢き逃げを目撃した通行人で、僕は轢き逃げ犯です・・・それが現実です」

「うん、まあ大体想像通りのリアクションだけど、やっぱり頭固いなあ。分かってはもらえないか。まあいいや、車の鍵を貸してよ。ちょっと自首してくる」

「なっ・・・!?何をいってるんですか・・・?」

「警察もそこまで無能じゃないからね、いずれは見つかるよ。車。で、あなたには逮捕されるわけにはいかない理由がある。寄り添うべき母親がいる。俺にはそういうのないから。俺が代わりに自首してくるっていってんの。あんたとは旧知の知人で、当日は俺があなたの車を借りて轢き逃げをおこした。そういう筋書きで。犯人が自首して、自供が状況と一致してれば基本それに基づいた検証が行われるだけだから、まあ多分いけるよ。俺が犯人って事で通せる」

「そ、そういう問題じゃないっ!あなたはそれでいいんですかっ!?」

「いいよ。別に。逮捕されて困る理由がないんだよ。こないだ仕事クビになって今無職だし、心配かける家族もいないし、恋人もいないし、俺が逮捕される事で困る人間いないもん。だから、守るべきものがあるあんたより、俺が刑に服するべきだ」

「意味が分かりませんよそんな理屈っ!そんな、、、偶然あの場に居合わせただけのあなたに身代わりをさせて、僕にのうのうと塀の外で生きていけっていうんですか!?無理に決まってるでしょう!呵責が生まれないわけないでしょう!?」

「うん、良心の呵責もあろうし、真実と違う虚構を死ぬまで通す覚悟も必要だろうね。一生嘘の人生だ。晴れた日の午後を心地よく感じる事は金輪際ないだろうね」

「そうですよ!!分かってるならどうしてっ!」

「こうなっちゃった以上、どうしたって呵責と鬱屈からは逃げられないよ。あそこにいた全員、死ぬまであの日あの瞬間の出来事に、あらゆる意味で縛られながら生きていくんだ。キチガイオバサンみたいにね。悲劇っていうのは、つまり怨念みたいなものだ。一度マーキングされたらもう逃れることは出来ない。嫌が応にも自動的に背中に圧し掛かる。なら、それをどういう姿勢で背負っていくのか、そこが大事になってくるだろ?俺はこれが最善だと思うよ。あんたはあんたの母親の為に呵責と嘘を背負って生きていく。俺は「自分みたいな無職童貞の屑でも人様の役に立つ場面ってあるんだなー」なんて思いながら刑務をこなす。役割分担ってやつだよ」

青年は、信じがたいものを見るような目で俺を見つめる。
睨み付けるような、訝しむような、哀れむような、なんとも形容しがたい眼差しで。

「あ、発見。これね、車のキー。大丈夫。車の場所は知ってるから。ていうか嫌ならいいよ。どうしても”これは自分の罪です!僕が罰まで全部ひとりで背負います!”っていうなら、俺の手からキーを奪い取って自首しにいけばいい。止めはしないよ。あんたの自由だ。
俺は俺の自由を行使するだけ。納得いかないなら、あんたもあんたの自由を行使すればいい」

猶予を与えるように、俺は彼を見つめながら、1、2、3、4、5と心の中でカウントする。
13くらいまで数えたあたりで、漠然と「もうないな」っていう確信めいたものが沸いてきて、だから俺は、立ち上がって靴を履いて狭い玄関をくぐるようにして彼らのアパートを後にする。

今日はなんだかひどく疲れたし自首は明日にしよう。
急ぐ事はない。
我が子を目の前で失って半狂乱に陥った母親の供述は支離滅裂で、逮捕に有力な情報は期待できないだろうから。

殺人+轢き逃げで刑期は何年だろう。
自首した分多少は軽くなるだろうか。
死者が一人な上に、飲酒運転危険運転の類でもない、完全に不慮の事故だから、死刑って事はないだろう。
死刑じゃなければあとはわりとどうでもいい。

そもそも外の生活だって、俺にとってはほとんど「塀の中」みたいなものなんだから。

やりたい事もないし、愛する人もいないし、守るべきものなんてなんにもない。
彼女いない暦=年齢もちろん童貞の三十路過ぎ。

こんな自身を鑑みて、とりわけ侘しいとも思わないし、どうにか起死回生で頑張ろうなんて健気な気持ちは微塵たりとも沸いてこない。

わりとどうでもいい。ていうかめんどくさい。

それがほとんど全ての事柄に対する心からの正直な所感。

いつものように駅前のスーパーで半額処分品を買って帰る。
残り物の米と一緒にペロッと食べたらオナニーして風呂入って寝る。
塀の中で出される食事は、外で食べれば一食500円から1000円相当の結構ちゃんとしたものらしいから、逮捕された暁には半額処分品で一食50円で済ませてる今よりはだいぶマシな食生活が期待できるだろう。

風呂は週に2回らしいけど、そもそも今だって節約の為に3日に1回しか風呂入ってないんだから、今と変わらない。

起きる時間も寝る時間も決まってて、労務もあって、わりとめんどくさい事だらけかもしんないけど、とにもかくにも不摂生ここに極まってる今現在よりは健康的な生活が保障されてるだろう。

なるべく好意的な想像を膨らませる事で手の震えを押さえようとするけど、かつて味わった事のない強烈な不安がどうにもざわめき立ってしょうがない。

ああ、身代わりになるなんて、言わなきゃよかったな。
警察行くの、怖いな。

そんな事思いながら、睡眠薬の助けを借りてどうにか就寝。

翌日昼ごろ目が覚めて、眠い目をこすりながら警察に自首しに行ったら「その件はもう犯人が自首してますよ」との事で、いろいろ根掘り葉掘り聞かれるだけ聞かれて家に帰された。

昨日俺が帰った後、結局彼が自首したらしい。

警察署から帰るその足で、なんとなく彼の家に寄ってみた。
彼の母親が、丁度市の職員と施設入所に関するあれこれを話し合ってるところだった。

彼のお母さんと話をした。

方麻痺の影響か、少し呂律が回ってない感じだったけど、彼が話していた通りの穏やかな人だった。

つい昨夜息子が逮捕されて、気が気じゃないだろうに俺に気を使ってか「息子の為にありがとうね、本当にありがとうね」と繰り返してた。

息子は幼い頃からずっと家の手伝いばかりをしてくれて、それ以外の時間は勉強とアルバイトの毎日で友達を家に連れて来る事さえ一度もなかったから、息子と同年代の人がこんな風にうちを訪ねてくれるのはとても有難い事なのよ、だってさ。

そんな風に言われると、悪い気がしない。

悪い気がしないから、息子としばらく会えなくなってしまったこの孤独なおばさんの事を多少気にかけてやるのも悪くないかなんて気持ちになった。

そんなつもりじゃなかったとはいえ、俺が息子さんの自首を促した感があるのも否めない気もしない事もないし。

おばさんのところにちょいちょい顔を出すようになって、そしたらおばさんも息子と会えない寂しさからか、「息子が二人になったみたい」なんて言って、ほとんど「ただの他人」である俺に親身に接してくれた。

親しくなってちょっとした頃、蜘蛛膜下が再発して死んじゃったから、ほんの短い間だったけど。

俺は両親の顔を知らない。

俺が物心をついた頃にはもういなかったし、顔も知らない親に会ってみたい、なんて気持ちも特に沸かなかった。
わりとどうでもいいって感じ。

でも、だから、なんだか、このおばさんと過ごした数ヶ月、「家族ってきっと、こういう感じなんだろうな」って、ちょっとシミジミ感じてみたりした。


我が子を目の前で失ったあのお母さんの悲しみは一生癒えないんだろう。
犯人が現れて、憎しみを全力でぶつける対象を得ても、そんな事で晴れる浅い悲しみじゃないだろう。
死んだ人間は生き返らない。
きっと償う方法なんてない。


生きてる人間の誰もが罪を背負っていて、いずれは皆死ぬ。

水が流れるように世代はどんどん交代していって、右から左へ流れるように人生は過ぎ去って、いずれ死ぬ。

事故、病気、自殺、さまざまな理由で、家族の目の前で、誰もいない部屋で、消毒液の臭いがする病室で、横断歩道で、この世界のどこかしらで、いずれ誰もがその時を迎える。

無限のように見える生命連鎖のうねりも、宇宙サイズでみればものすごい些細な事。

全ては一瞬で、全てにきっと価値なんかない。

あったとしても、それはきっと些細な価値だし、価値があるのかどうか自体がそもそも些細だ。

生きて死ぬ。

その間に嬉しさと悲しさがあって、あと、まあ、いろいろ。

めぐり巡るものに伝わってゆくほんの些細を貴く感じるその気持ちは、意味も価値もなくても、ていうか意味も価値も別にいらないけど、とにかくそれは頑固な汚れみたいに魂にこびりついて、人間を突き動かすのだ。


「お母さん」


呼ぶ、少女の声がする。

幼い少女の透明で無垢な声。

もういない、なのに決して消えない、少女の声。

だからそれはとても綺麗で、思うと苦しくて、あまりに悲しくて、だからそれは、呪詛になる。

呪詛の経が埋め尽くす狂気の向こう側、いつかのよく晴れた夕焼けから。

呪いは時に罪なき他を巻き込んで滅びをもたらすだろう。


それでも。


命が許すのだ。


罪びとの生きることを。


どんなに悲しくても、とにもかくにも生きるのです、というそんな糞陳腐な偽善めいた言葉っちりを鼻で笑いながら、卑しくもゲスく生き、無様にも滑稽にも歌う豚であり続けるべきなのだという、これはつまりそういうお話。

メランコル

基本エッチな絵を描いてます`~`

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